2014年11月11日3:45 PM

和紙がユネスコの無形文化遺産に登録される見通しになった。昨年登録された和食につづき、日本を世界に発信する広報活動の素材がまたひとつ増える。

和食は、いわゆる”健康志向”の流れとともに特に世界の大都市で受け入れられていたが、無形文化遺産への登録が世界への発信力を強化することになり、人気を加速させることになった。テレビでも、ニューヨークやパリの和食店で外国人が器用に箸を使うシーンをよく見かけるようになった。

他者に自分のことを理解してもらいたければコミュニケーションが必要になるし、コミュニケーションしたければ自らを発信することがまず必要だ。待っていては何もはじまらない。国も企業も人もおなじことである。広報活動は、コミュニケーションのきっかけを作り、それを継続するために必要不可欠な、いわばコミュニケーション維持装置ともいえる機能を果たす。

広報活動にはもうひとつの効用がある。国であれば国民、企業であれば従業員が無自覚だったことをクローズアップして、身内に認知させてくれることである。ニュースになったことで、ウチの会社、こんな取り組みをしてるんだ、などと知ることになったことが、誰しもあるのではないか。

今回無形文化遺産に登録される和紙については、ぼくはどちらかというと日本人が和紙のよさを再認識するきっかけになってくれればと期待している。

ぼくの父方の祖父は手すき和紙の職人であった。愛媛県西条市の伝統的特産品となっている周桑和紙のつくり手のひとりだった。

こどものころ、夏休みに祖父の家に遊びに行くと、祖父は朝めし前にはひと仕事終えていて、台所の勝手口に腰かけ、紙をすいたあとのしわしわの指にたばこを軽くはさんでうまそうに喫っていた。たばこの銘柄はわかばだった。髪に紙のカスがたくさんくっついていた。

主力製品はキメの細かい奉書紙とちりめん状のしわがある檀紙。西条市によると、この2種類の手すき和紙は、今でも全国で90%以上のシェアを占めるそうだ。しかし、最盛期には60軒ほどあった紙すき場は、現在では4軒に激減している。

祖父は2代目だった。ぼくの父が長男で、その長男がぼくなので、ぼくは4代目ということになる。しかし、実際はそうはなっていない。父は別の職業に就いた。後年、一番若い伯父が後継者となったが、早くに亡くなってしまった。ぼくも東京でこんなブログを書いている。

今回の無形文化遺産に登録されるのは、島根県の石州半紙、岐阜県の本美濃紙、埼玉県の細川紙である。しかし、全国手すき和紙連合会によると、全国には70以上の手すき和紙の産地があり、それぞれ特徴がある紙を作っている。その一方で、どこも後継者問題が深刻なようだ。

今回の出来事で、特定の和紙だけでなく、手すき和紙そのものの魅力が国内でも見直され、伝統技術が受け継がれていってほしいと、心から思います。

祖父の家に残っていた周桑和紙です。写真ではどれだけ伝わるかわかりませんが、あたたかみを感じる素朴な風合いです。

 

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