2012年12月22日11:35 AM

パナソニックが、プロゴルファーの石川遼選手との所属契約を終了する、と発表した。契約期間は残っていたみたいだけれど、今の経営状況だとやむを得ないことなのでしょう。

また、85年続けてきた社内報も冊子での発行は年内で終了する、という報道もあった。わたしの祖父や祖母も読んでいたであろう社内報がなくなるのはさびしい(わたしの祖父は松下電器および松下寿電工の技術者であった)。

ちなみに、わたしがむかし社員だったIBMは20年ほど前の業績悪化のとき、トイレの手拭き紙は廃止したが、紙の社内報は廃止しなかった(まだあるのかな、COMPASS)。

ところで、冒頭の石川選手だが、今回のスポンサー撤退に「今の段階では申し訳ないけどノーコメント」と答えたそうである。「ノーコメント」とだけ報道されると、ぶっきらぼうで冷たい印象を与えるけれど、「申し訳ないけど」が入るだけで少しは印象がやわらぎますね。

転じて企業の取材対応においても、答えられないことや答えたくないことに対して「ノーコメントです」と言う人が少なからずいる。でも、企業の取材シーンではこの言葉をむやみに使わないほうがよい。

企業やそれに準ずる組織がメディアの取材に応対するときは、記者の知りたいことは何かをきちんと把握した上で、事実を正確に話すことが求められる。自分たちが話したいことだけ話そうとしてはならない。

ただし、それは記者の質問すべてに答えなくてはいけないということではない。企業活動には当然に機密情報がある。仮定の質問やうわさ話に答える義務はない。取材では、答えられることだけ答えるというのが鉄則だ。

答えられない場合は、その理由を答えると納得がいく場合が多い。「それはお答えできません、なぜなら」と続けるのがコツである。ここで「ノーコメント」と言い切ってしまうと、突き放したような印象になってしまう。それに、「ノーコメント」という言葉は本来は何もコメントしない、つまり否定も肯定もしないという意味なのだが、実際は、否定はしていないが肯定ととられてもしかたがないイメージになっている側面がないわけではないからである (こんなまわりくどい言い方もいけない)。

企業の広報活動で、ノーコメントとは言わないことであります。

それはそれとして、昨年ミュージシャンの内田裕也が発した「ノーコメント」には迫力があった。独特の深みがあった。結婚情報誌のゼクシイのCMである。福山雅治の歌をバックに、樹木希林が「結婚のいいところって何でしょうね」と聞くと、内田裕也が「ノーコメント」と答える。

先日、NHKの「ディープピープル」という番組の「ヒットCM ~企画の裏側~」で、作り手のCMディレクターが「このノーコメントは、『みんなに教えたくない』かもしれないし、『そんなの一言で言えるわけないじゃない』かもしれないし、『ロケンロール』かもしれない」と話していた。奥行きのあるノーコメント。

その本人が交際相手への強要未遂で逮捕されて、このCMが2ヶ月で打ち切りになったっていうオチも、それもまた味わい深い。

ノーコメントもいろいろです。

 

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