2011年6月29日12:54 PM

このブログをはじめて今日で289日が経った。だからといって特になにかの節目でもなんでもなくちょっと数えてみただけなのであるが、ついでにもうひとついうと、わたしが書いたものは今回で40話となる。

これまでメモのような日記とプレスリリースよりほかにまとまった文章を書いたことがなかったわたしにとって、このブログを書くことはとてもよい訓練となっている。なにかを続けるということは、なにかいいことをもたらしてくれるです。

「つぎになにを書こうかなあ」と思いを巡らせていると、考えることが習慣になったというか、言葉に敏感になったというか、一見関係のない事象を結びつけてみたり、ひとつのことをすこし掘りさげて考えてみたり、そして何よりどう書いたらうまく伝えられるのかを考えるようになった。

フェイスブックやツイッターが普及してきて、だれでも簡単に気軽に文章を書いて、だれかに届けたり公開したりすることができるようになった。たったひとことでも、国語の記述式の解答くらいの文章量のものでも、内容とともに書きかた次第で伝わり方がちがってくる。

岩波新書からでている「語感トレーニング」(中村明著)によると、人は話したり書いたりするときに、「何を伝えるかという意味内容の選択」と「それをどんな感じで相手に届けるかという表現の選択」を行うという。この本では、前者を「意味」、後者を「語感」と呼んでいる。

以下、さらに引用します。「『意味』はその語が何を指し示すかという論理的な情報を伝えるハードな面であり、『語感』はその語が相手にどういう感触・印象・雰囲気を与えるかといった心理的な情報にかかわるソフトな面での表現選択だ。前者の選択があまいと意味があいまいになり、後者の選択を誤ると思わぬ違和感や時には不快感を招きかねない。」

たとえば「特徴」と「特長」は一見おなじ意味のように思われがちだが、「『特長』は『特徴』の中でも秀でた部分だけを指すので、自分側のことに用いると自慢や宣伝のような印象を与えて好感度が低くなり、いくぶん俗っぽい感じも伴う。」という。うーむ、そうか。

プレスリリースで「特長」ってバリバリ書いてました。長所だからこっちのほうがいいかなって思って、わざわざ選んでいた。でも、こんな印象のちがいがあった。

小説家の田宮虎彦は、「夏の強い『ひざし』には『日射し』、秋の弱い『ひざし』には『日差し』と別々の漢字を宛てて、その感触を表現し分けようとした」のだそうです。いいです。こんな感覚を身につけたい。

文章で表現する力がいっそう求められる時にあって、ことばの発するにおいにあらためて敏感になろうと思ったのであります。

 

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