2013年12月25日4:42 PM

今月のはじめ、江戸東京博物館(東京・両国)で「明治のこころ Soul of Meiji」展を観覧しました。アメリカ人動物学者のエドワード・モースが、明治時代の日本で収集してアメリカに持ち帰った生活道具や陶器など320点が展示してありました。

会場に入ってすぐのところに、当時の海苔の缶が置いてあります。缶だけではありません。中身もちゃんと入っている。140年前の海苔は少し変色してセピアがかっていましたが、わたしたちが今食べている海苔と少しも変わるものではありませんでした。当時の泥がついたままの下駄や、おしゃれな細工がほどこされた商店の看板などもあります。古いものをみて当時の様子に想像をめぐらせるのはとても楽しい。

モースのコレクションはもちろんすばらしいものでしたが、展示物のところどころに貼ってあった、当時の日記から抜粋した文章がさらに卓越したものであり、モースの日本人を見るあたたかいこころと確かな眼力を知ることができました。当事者である日本人にはあたりまえのことであり場合によっては欠点とも考えているようなことを、まったく別の視点から価値をあぶりだして表現しています。

たとえば、明治の日本人が墨をすり、巻紙に筆を走らせる様子を見て、こう評する。

・「非常に腹を立てて、すさまじい剣幕で手紙を書こうとする人でも、十分冷静になる丈の時間がある」

夏は涼しいが冬は寒い木造の日本家屋を、こう評する。

・「家屋の開放的であるのを見ると、常に新鮮な空気が出入していることを了解せざるを得ない」

これらは、わたしたちの仕事である広報に欠くべからざる視点であります。自分という人間のことは自分が一番わかっていると思っていても実はそうではない。同じように、ビジネスなどの社会活動においても、当事者たちが事業や商品・サービスの大事な価値を見落としてしまっていることが少なからずあります。

広報という仕事は、半分は会社の視点、半分は社会の視点を持つことが必要です。わたしも、このモースのような常にフレッシュな眼で物事をみつめて、仕事に取り組みたいと思います。

ところで、モースの珠玉の言葉のなかには、こういうのもありました。

・「(外国人が)道徳的教訓の重荷になっている善徳や品性を、日本人は生れながらに持っているらしい」

・「人が正直である国にいることは実に気持ちがよい」

きのう都庁から退場した方の一連の言動をモースがみたら、どんな気持ちになるのでしょうか。

 

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