2013年2月27日4:17 PM

昭和30年前後の邦画ばかり観ている。これまでも、当時の東京の風景や風俗のリアリティを感じたいと思って、小津安二郎監督の映画を熱心に観たことがあったのだけれど、川島雄三監督の「洲崎パラダイス、赤信号(1956年)」という、今の東陽町あたりにあった遊郭の入口で展開される、ずるずるべったりの堕ちてゆく男女の話を描いた名作を年初に観て火がついてしまった。

今月に入って、成瀬巳喜男監督の「めし(1951年)」、「稲妻(1952年)」、「浮雲(1955年)」、「流れる(1956年)」、「嫁・妻・母(1960年)」を鑑賞する。林芙美子や幸田文など女性作家の原作が多いこともあるけれど、どの作品もしっかり女とたよりない男という徹底ぶりがおもしろい。日本は1950年代半ばから高度成長期に入ったといわれているけれど、これらの映画を見ていると、この時代はいまだ戦後を引きずって、仕事がない、不景気、であることがわかる。そうはいいながら、なにかといえばよく酒をのむ(朝からでも昼からでものむ)。男は職がないか商売がうまくいっていないのに、陽気であり、野放図であり、泰然としている。このあたりは、これからのサバイバル時代に向けて、参考にしたい(している?)ところである。

たしかに昭和30年代の風景をCGを駆使して再現した「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズも楽しめた。でも、当時撮影された本物には到底かなわない。たとえば「稲妻」では、主人公の高峰秀子がバスガイドの役で、バスの中から映した当時の東京の生きた風景が鑑賞できる。わたしは昭和42年生まれなので、昭和30年代の風景を実際に見たことがない。だから余計にリアルな映像に引き込まれてしまう。

リアルな映像といえば、NHKと米ABCによる共同制作ドキュメンタリー「映像の世紀」が圧巻だ。世界30ヶ国以上、約200ヶ所のアーカイブから集めた記録映像で構成した番組で、1995年から96年にかけて全11回放送されたものである。歴史上の大事件のほか、当時の日常社会や風俗も迫真の映像を通して紹介されている。リアリティという意味では、その迫力や臨場感は映画の比ではない。すべて本当の出来事なのだから。いっしょに見ようよと誘っても徹底的に無視を決め込んでiPodできゃりーちゃんの映像を熱心に見ていたわたしの子どもたちも、ヒトラーの狂気めいた演説が流れると驚いたようにテレビに顔を向けた。教科書に書かれた平板で退屈な現代史に触れる前に、この800分強の映像を見たほうがよっぽど興味が持てるのではないかと思う。

話はかわって、ドラえもんの第14巻に、のび太くんが「遠写かがみ」という道具をつかって広告ビジネスをはじめる話がある。遠写かがみに写った画面が他のかがみに写し出されるしかけになっていて、町中のかがみにCMを流そうというのである。味はしっかりしているけど店の古めかしさゆえに閑古鳥が鳴いている気の毒な和菓子屋さんのCMを受注し、店の名まえを連呼したり、うまい・安い・大きいといった宣伝文句を並べたりして、近所のかがみというかがみにCMを流すのだが、これが反感を買って逆に評判が悪くなってしまう。やさしい店の主人は、泣いて謝るのび太くんとドラえもんに店のどらやきやだんごをごちそうする。二人がうまそうにパクパク食べているシーンが、スイッチを切り忘れていた遠写かがみに写っていて、それを見た町中の人が店に殺到する。というお話である。

町の人々は、勝手に自分の家のかがみにCMを流されたうえ、一方的な押しつけがましい宣伝文句を聞かされて嫌悪感をもった。しかし、リアリティにあふれたその映像は、人の心を動かし、リアルな伝達が行なわれた。そして、実際の購買行動を誘発する結果となったのである。

先週21日に放送されたNHKのEテレ「仕事学のすすめ」は、ジャパネットたかたの高田社長がゲストだった。ジャパネットたかたの通販番組はすべて生放送で、社長のセリフは台本なし、本番直前までわかりやすさを追求し、自分の言葉で自分の思いを伝える。電子辞書を紹介したときは、同じ量の内容が本の辞書ならどれくらいの物量になるか、実際に辞書を用意してどんどん積み上げてみせて、その積み上げた辞書が崩れ落ちるハプニングがおきる。しかし、辞書が床に落ちた瞬間に電話がじゃんじゃん鳴り始め、30分番組で数千台が売れたという。高田社長は、これが「リアルさが伝わるということ」と言い切った。

明日午後11時から放送される「仕事学のすすめ」は高田社長の2回目で、「どうする?不祥事とクレーム」である。リアリティを徹底して大事にする社長が危機にどう対処したのか。広報・PRの仕事に携わるわたしたちにとって、とても楽しみなテーマです。

 

トラックバックURL