2012年10月22日4:52 PM

最近、メディア対応のアドバイスとあわせて、広告や制作物を企画する仕事が増えてきました。それほど規模の大きくない企業や組織にとって、新製品や新しい取り組みを報道発表するだけで継続的な情報発信をするのは限界があるので、広告や広報誌、イベントなどもうまく組み合わせてコミュニケーションの大きな流れをつくる必要があるからです。

広告や制作物は、メディア側が書く記事とはちがって、自分たちで自由にコンテンツを作ることができます。掲載内容を自分たちで決められるので、どうしても自分たちの都合のいいことだけを詰め込みたくなるものです。耳障りのいい言葉をならべてしまう。紋切り型の言葉で商品や製品を語ろうとする。でも、そんな広告ばかり出していると、亡くなった俳優の大滝秀治さんに天国から「つまらん!」と言われてしまいます。

わたしが手がける広告の多くは、記事の体裁をしたメディアとのタイアップ広告企画ですが、広告といえどもニュートラルな視点で作られた、読んでおもしろく、読者のためになるコンテンツを作りましょう、と提案し続けています。

ソーシャルメディアの浸透によってメディア環境が激変し、世の中は情報に対する感度が格段に高くなりました。そのため、企業が発信するひとりよがりな宣伝には、自然と耳をふさぐ傾向が顕著になってきました。一方で、記事か広告か、あるいは職業記者が書いた記事か市井の人が書いたブログか、そういうことで情報の価値判断をしなくなってきた。大新聞が書いたから正しいとか、テレビで報道していたから信用するといった旧来の単純な判断基準は、だいぶ疑わしくなっています。

そんなときだから、企業や組織が自ら発信する情報が信用に足るものと思ってもらえるチャンスでもあります。メディア関係者の何人かに聞いたところ、ニュートラルな視点で書かれたコンテンツは、たとえ広告企画であっても好意的に読まれるとのことでした。

先月、福島第一原発の事故を検証した朝日新聞の「プロメテウスの罠」という連載記事に、環境省のがれき広域処理に関するPR記事(メディアとのタイアップ広告企画のこと)の顛末が紹介されていました。環境省の言い分と批判意見を交えた企画記事を依頼されたジャーナリストが、がれき焼却に関する環境省の基準の甘さを指摘する大学教授のインタビューを盛り込んだら、環境省からクレームがついて、掲載が大幅に遅れたという話です。

環境省の担当職員が、「PR記事なのに、なんでこんなことを載せなければならないのか」とつぶやいたとあります。なんか、隠蔽体質の会社の社長みたいです。

わたしは、たとえ広告であっても、読み手の視点で考え抜かれ、ニュートラルに作られたコンテンツに価値があると考えています。

 

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