2011年8月8日1:31 PM

週末、村上龍氏の新刊「逃げる中高年、欲望のない若者たち」と、文庫になった「無趣味のすすめ」をまとめて読んだ。

新刊の表紙には「挑発エッセイ」とある。肉食系・草食系や勝ち組・負け組などどうでもいい流行語を「ミもフタもないリアルな現実を覆い隠すため」に流通すると喝破し、空気を読むという言葉を「とりあえず自分の意見を控えて上にへつらい下に威張る」と翻訳する。

わたしは仕事柄どうしても言葉や表現に関する箇所に注目してしまうのだが、思っていてもうまくいえなかったことをズバッと表現してくれる龍氏のエッセイを読んで、いつも溜飲を下げるのである。

もう一冊の「無趣味のすすめ」も挑発エッセイ集といっていいようなメッセージが詰まっている。こちらには、仕事をする上でとても大事な「真理」だなと思った文章がいくつもあった。そのなかから8つの個人的セレクションをこの場を借りてメモしておきたいと思います(引用した文章のあとのカッコ内は引用元のエッセイのタイトル)。

—–
「真の達成感や充実感は、多大なコストとリスクと危機感を伴った作業の中にあり、常に失意や絶望と隣り合わせに存在している。」(無趣味のすすめ)

「理想的なビジネスパートナーというのは、「その人がいなければやっていけない」ということではない。「あなたなしではやっていけない。生きていけない」というのは可愛い感じがするが、あっという間に依存に結びついてリスクが高い。」(仕事と人生のパートナーシップ)

「当たり前のことだが、文章というのは読む人に理解されなければならない。正確でなければ情報や意図は伝わらず、理解されないし、簡潔であればあるほどその精度は増す。」(ビジネスにおける文章)

「脳が悲鳴を上げるまで考え抜いて、ふっとその課題から離れたときに、湖底から小さな泡が上がってくるように、アイデアの核が浮かび上がってくる。」(企画の立て方)

「仕事上のほとんどの失敗は「単なるミス」で、準備不足と無能が露わになり、信頼が崩れ叱責されるだけだ。得るものは何もない。何かを得ることができるのは、挑戦する価値があることに全力で取り組んだが知識や経験や情報が不足していて失敗した、という場合だけだ。」(失敗から得るもの)

「決定に至るまではどこまでも謙虚になり、決定する瞬間「天上天下唯我独尊」となる、それが成功者の普遍的な態度である。」(謙虚な成功者)

「淘汰の時代には、成功より、まず生き残ることを優先すべきである。」(顧客満足という呪文)

「ある組織・集団のリーダーとは、「何をすべきか」がわかっていなければならない。それがもっとも重要な前提であって、人間的魅力とか情熱とか求心力などは本当はどうでもいいことだ。」(リーダーの発言)
—–

ところで、冒頭のまったくどうでもいい区分けの話にもどりますが、わたしが学生のころ、しょうゆ顔・ソース顔というカテゴライズがはやった。風間トオルと阿部寛がそれぞれの顔の象徴だった。このカテゴライズは何を隠蔽するために考案されたのだろうか。夏休みにのんびりと考察をすすめてみよう。

 

トラックバックURL